院長プロフィール


私は、一言で言うと

「あなたのお役に立ちたい!」

それだけです。

 

病気・痛みなどの原因をあなたと一緒に探しながら、

 治癒への道のり、健康な日々、幸せな人生を送れる

ように、全力でお手伝いさせていただきます。

 

 

 平野 敏和 (ひらの としかず)

1965年 福井県南条郡南越前町生まれ。

武生工業高校卒

 

いろんな意味でバカなことばかりやってきて、

家族や周りの方々に迷惑をかけてきました。

 

深く反省しております。ごめんなさい🙇

 

そんな中、整体師になったきっかけは自分の

繰り返す腰痛でした。




私の想いを聞いて下さい

 

私が施術をする上で私の施術に対する想いをお話します。

 

私は、高校生の頃から腰が弱かったのか、授業中に急に腰が痛くなり、

動けなくなったことがあります。

 

その時に病院に行き、先生の対応に落胆を受けた事があります。

 

レントゲンを撮られて、その先生は「腰の4番目の骨が曲がっている」

と言われ、「シップを出しておくから様子を見て痛かったらまた来て」

と言われたのです。

 

痛いから来たのに様子を見る? シップ? 治療は?

上から目線の何か偉そうな態度で説明され納得できませんでした。

 

それから大人になってからも度々腰を痛めましたが病院へ行っても

ムダだと思い、病院へ行くことなく、痛みを我慢する日が続きました。

本当に辛かったです。

 

29歳で若い頃かじっていた空手を再び始めました。

しかし、空手の翌朝は腰が痛くて起きるのがやっとでした。

 

そんな中、世の中に「整体」というものがあることを知りました。

 

情報を収集し、整体院を見つけ治療に通い始めました。

それと同時に筋トレも始め近くのジムへ通いました。

 

相乗効果で、腰だけでなく身体の状態がすごく良くなりました。

 

腰痛や身体のトラブルで困っている人を何とかしてあげたいと強く

思うようになり、仕事を辞めカイロプラクティックの学校へ入り

ひたすら勉強しました。

 

カイロプラクティックを勉強しながら、スポーツ整体やリンパ整体、

武道整体、ハンドヒーリングや共鳴氣導療法、テーピング…etc

私は様々な技術、方法を勉強しました。

 

日々勉強を重ねるうちに「CW療法」に出会い、技術より最も大事な

ことがあることに気付かせていただきました。

 

病気や痛み、症状は身体に迫る危険を察知し、脳が発信したサイン

(警報)であることを知りました。

 

私の人生そのものが大きく変わりました。

 

その後、本物のハンドヒーラーに出会い、自分が生まれてきた

意味・理由に気付きました。

 

それは、ヒーリングでたくさんの人を本当の意味で笑顔にすること、

幸せに健康に生きるお手伝いをすることです。

 

 

薬に頼らない生活を送ってもらいたい!

 

QOL(生活の質・生命の質)を向上してもらいたい!

 

最後まで自分の足で歩いてもらいたい!

 

そして、ガンを消滅させること、難治難病を改善できることが出来ると

信じ、日々研究に取り組み実践しています。

 

人間は脊椎動物・哺乳類・ヒト科の動く生物だと信じて取り組んでいます。

 

予防は常に治療より優れていると信じています。

 

今日までの医療は、薬でごまかすしかない限界に来ていると思っています。

 

人間には本来、自分の体は自分で治す自然治癒力が備わっています。

 

免疫力があるのです。

 

免疫力というのは、細胞の生命力です。

 

その生命力の源は、細胞内のミトコンドリアです。

 

そのミトコンドリアが生み出してくれるエネルギーのパワーに目覚めるだけです。

 

こうして世界で初めて、最小のエネルギーで最大の結果を得ることが出来る

エネルギー医療を研究し、ミトコンドリアをパワーアップし、

全身が元氣になるヒーリングエネルギー療法が出来上がりました。

 

脊椎動物・哺乳類・ヒト科の人間が痛みや不快な症状から抜け出し、

幸せに健康で生きるためには、小手先のテクニックなど必要ではありません。

 

根本的な身体の内からのエネルギーアップが必要です。

 

 

痛いことは一切せず、心も体も楽になる優しい施術で根本改善のお手伝いをいたします。

 

 

 

「エネルギー整体」は、

バランス整体とヒーリングで心身を調和させながら、

3つの強力なエネルギーで身体の回復を起こします。

➔  エネルギー整体 詳細はこちら

 

「BCR(脳交信読術)療法」は、

・原因究明除去コース

・アンチエイジングコース

 があり、日々進化し続けています。

➔  BCR療法 詳細はこちら

 

あなたが求めることに協力し、お手伝いします。

 


取得資格

 

・日本カイロプラクター協会 認定カイロプラクター

 

・日本運動療法士協会 認定運動療法士

 

・世界リンパ整体協会 認定リンパ整体師

 

・キネシオテーピング協会 キネシオテーピング公認トレーナー

 

・日本S&C協会 NSCA・JAPAN 認定パーソナルトレーナー

 

・日本カイロプラクティック機講 認定カイロプラクティック師

 

・日本体育協会 公認スポーツリーダー スポーツ少年団認定員


  

 

終了セミナー

 

・CW療法 基礎セミナー、他合宿等

 

・礒谷式力学療法 集中セミナー終了(本部にて)

 

・ハンドヒーリング実践研究会 セミナー

 

・ヒーリングタッチリリーシング 入門コース

 

・前島式共鳴氣導療法 上級課程修了

 

・アプライドキネシオロジー

 

・アクティベータ ベーシック

 

・JHA日本治療協会 会員

 

 

影響を受けた理論・哲学

 

CW療法

伊東聖鎬先生

(読脳アカデミー・CWインターナショナルスクール学長)

 

ハンドヒーリング

今野聖也先生

(ハンドヒーリング実践研究会・主宰)

 

武道医学

サイード・パリッシュ・サーバッジュー先生

(日本武道医学専門学院・学院長)

 

礒谷療法

礒谷圭秀先生

(礒谷式力学療法・総本部院長)

 

白血球の自律神経支配の法則

安保徹先生

(新潟大学大学院教授)

 

ミトコンドリア免疫病治療

西原克成先生

(医学博士・西原研究所所長)

 

操体法

橋本敬三先生

(医師・操体法創始者)

 

活法整体

肘井永晃先生

(月辰会整骨院院長)

 



他取得資格

 

・極真空手 初段

 

・機械加工技能士 普通旋盤作業 1級

 

・機械加工技能士 フライス盤作業 2級

 

・そろばん 3級

 

・英検 4級

 

・刈払機取り扱い作業者 修了

 

・第二種電気工事士 免状取得

 

・第一種電気工事士 合格

 

・フォークリフト運転技能講習 修了

 

・伐木等作業従事者安全衛生特別教育(チェーンソー) 修了

 


趣 味

  

筋力トレーニング

自分の腰痛が原因で、30歳の頃から筋トレを始めました。週に5~6日やってます。

今では、自分の短時間筋トレ法を見つけ一日15分以内でワークアウトです。

 

スポーツ・格闘技観戦

オフサイドも分かりませんが、サッカー観戦が好きです。

Jのチームではガン大阪のファンです。

体を動かすことが好きですし、スポーツ全般好きです。

格闘技を見るのも好きです。

空手をしていたので、特に立ち技系が好きです。

 

DIY

DIYのため、いろんな資格にチャレンジしています。

 


――――――

院長の経歴

――――――

 

19652月に生まれ、小さい時から親にも周りからも

変わり者扱いされていました()

 

小学生の時は勉強もせず、遊びまくる日々を送っていました。

 

中学時代はバレー部に入り、ほぼ休みなく部活に明け暮れる

日々を送りました。もちろん勉強はそれなりにしているふり。

 

高校に行く意味も分からず、県立武生工業高校に入学すること

ができました。が、家の事情もあり帰宅部でバスで通う日々。

 

家では車のプラモデルを改造して作るのが趣味でした。

 

当時は進学なんて考えはこれっぽっちもなく、特にやりたい

目標もなく、就職先も卒業ギリギリで決まった感じでした。

 

就職先は個人経営の酒屋兼ビン回収屋さんでした。

 

4ヶ月くらいまじめに働いていましたが、ある日、作業服姿の

友達に会いました。

 

 

転職             

 

なんと、その作業服に一目惚れしてしまったのです。

大工でした。大工といっても型枠大工で、その作業着は

上がダボシャツでズボンがニッカポッカです。

 

すぐにでも着たくて履きたくて、大工の親方が雇って

くれるかもわからないのに、すぐにビン屋をやめさせて

もらいました。

 

そしてすぐに大工の親方に雇ってくださいと懇願しました。

最初は急に言われてもと渋っていましたが、熱意が通じたのか

明日から来いと言ってくれました。

 

その足で一目惚れしたダボシャツとニッカポッカを買いに

行きました。

その時はダボシャツを着れるニッカポッカを履ける喜びと、

新しい分野への挑戦でワクワクが止まりませんでした。

 

自分で釘を打ったり、丸ノコで合板をカット出来るように

なると益々型枠大工が楽しくなってきました。

 

そして5か月が過ぎたある日、現場に一本の電話が入りました。

(当時は携帯電話なんて便利なものがない時代でした。)

 

 

2度目の転職         

 

兄から緊急の電話でした。

 

兄は父が杜氏をしている神戸市東灘区の剣菱酒造に酒造りの

出稼ぎに行っていました。

 

そんな兄からの電話の内容は、一人欠員が出たので、すぐに

来てくれといった内容でした。

 

急なことでしたが、父を助けたいという思いが強く承諾しました。

 

その後親方に辞めさせてくださいというのが、めちゃくちゃ言い

にくかった事を今でも覚えています。

 

酒造りの出稼ぎは10月末から4月までの寒い時期なので、こちらに

帰ってきたらまた雇ってくださいとお願いして、次の日には電車で

神戸へ向かいました。

 

酒造りはぐっすり眠れる時間がなかったので、本当にしんどかったです。

 

そして春にこっちに帰ってきて型枠大工をして、また10月末には神戸へ

出稼ぎに行きました。

 

神戸では遊ぶ時間もほぼ無く、友達もいないので行くのが本当に嫌でした。

父のためと思い我慢しました。でも、本当に寂しかったです。

 

そして春に帰ってきて型枠大工をさせてもらい、また10月末に神戸へ。

 

 

極真空手           

 

その時に、以前から興味があった極真空手へ入門しました。

入門した道場は、世界チャンピオン中村誠師範がいる中村道場でした。

 

もちろん春にはこっちに帰るので、役半年間でしたが阪神電車で通い、

一生懸命修行させていただきました。

スパーリングで先輩によくボコられていたことや中村先生がすごく

大きく優しかったことを記憶しています。

 

春に福井へ帰ってきて、高橋道場武生支部へ入門させてもらいました。

23年後に支部内のもめ事で当時の支部長が辞めることになり、

それをきっかけに空手はやめました。)

 

どの世界でもいろいろありますね。

 

酒造り → 型枠大工 → 酒造り → 型枠大工のサイクルが4年間

続きました。

 

 

新たな仕事          

 

半年ずつ違う仕事をしていると、なにか宙に浮いたような感じでフワフワ

していました。

 

そんな中、今度は鳶をしたくなり知り合いに頼んで雇ってもらいました。

鳶でも足場鳶で県内の色んな現場へ行き足場を組んではばらしていました。

 

圧巻だったのが、先輩が民家の2階の屋根に上るのに、丸太2本立てて

猿みたいに登っていく姿でした。個人的にマジで凄いと思いました。

 

鳶で落ち着くこともできず、鳶 → 酒造り → 鳶 → 酒造りの

サイクルが3年間続いて25歳になりました。

 

 

結婚とサラリーマン      

 

縁があり25歳で結婚することになり、半年サイクルの仕事はやめて、

サラリーマンになることを決意しました。

 

今はハローワークといいますが、当時は職業安定所、略して職安で

いいとこがないか探しました。

 

その頃はバブルがはじけたばかりだったと思いますが、求人はたくさん

あったように思います。

 

鯖江のほうによさそうな会社があったので面接に行くと、即採用でした。

みなさん温かく迎えてくださり感謝です。

 

即採用の意味が分かりました。とにかく忙しい。

最初の配属は、産業機械のメンテナンス部門でした。

 

そこで機械修理とか、アーク溶接、アルゴン溶接、半自動溶接を覚える

ことが出来ました。

 

しかし、いろんなことに興味がわく私は段々と工作機械の旋盤を

やりたくなっていました。

 

半年くらいたった時に、課長に機械課に行って旋盤をやりたいと

申し出ました。

 

課長は放したくなかったようですが、機械課に配属され旋盤担当に

していただきました。

 

すべてが初めてのことで簡単ではなかったのですが、鉄の塊から

部品を作ったり、ネジを切ったり、自分で溶接した物を削って仕上げて

いくことが楽しくて仕方ありませんでした。

 

3年たった時に普通旋盤2級の資格が欲しくて、課長に言って

受けさせてもらいました。

 

その時の練習セミナーがめちゃくちゃステップアップになりました。

自分のなかでは2段も3段も上達した感じでした。

 

学科試験を受けた記憶はあまりないのですが、実技試験は見事合格。

金賞をいただきました。

 

先生にもう少し若かったら「技能オリンピックに出れたのにね」と

いわれました。28歳。

 

その翌年、フライス盤2級にもチャレンジし、見事ではありませんが

合格しました。29歳。

 

その頃から独立を考えていました。

 

 

独立             

 

30歳になったときに独立を決心しました。

独立といっても、そこの会社の中で機械をリースして場所代を

払いながらやらせてもらう、ちょっとせこい独立でした。

 

23年は仕事もたくさんいただき順調でしたが、毎日毎日休みなく

夜中まで仕事をしていて身体的にはきつくて、自分何してるんやろと

思うことが日々増えてきました。

 

仕事量を少し減らして気分転換になることを始めようと思い、

近くのスポーツ施設で筋トレを始めました。

 

 

筋トレとの出会いと空手復帰  

 

筋トレにどっぷりはまってしまい、常に筋トレを考えていました。

寝ていても筋トレが頭から離れなかったです。

 

体を鍛えることに目覚めた私は、息子2人(多分5歳と6歳)に

空手をさせようと思い、昔の先輩が道場開きをするというので、

体験に連れて行きました。

 

息子たちは訳も分からずやらされていたと思いますが、これがまた、

自分がやりたくなってしまい、一緒に入門しました。私は再入門です。

 

仕事は体を動かす時間を増やすために、外注が増えて売り上げが増えても

収入は減るといった感じでしたが、それで十分でした。

 

そんな中、普通旋盤2級を取得してから実務経験が6年経ったので、

普通旋盤1級にチャレンジしました。

 

練習する分収入は減りますが、課題の部品を何回も練習しました。

2級とは比べ物にならない難易度と時間の戦い。

 

見事合格しました。

 

 

いやみな人と腰痛       

 

その頃から、空手の練習日の次の朝は練習内容にもよりますが、

腰が痛くて起き上がるのがやっとの日も増えてきました。

このまま続けていけるのか不安になっていました。

 

それと同時に、親会社の取締役のある一人が、私の売り上げが

面白くないらしく、ほぼ外注費の売り上げで収入は少ないと

いっても聞き入れてくれませんでした。

 

他の上層部の方々は応援してくださっていましたが、

これ以上この人に関わっていたら潰されるし、私も何をするか

分からない精神状態でした。

 

自分の腰の事と、この会社の下請けではやっていけないと思い

始めました。

 

 

この業界に入るきっかけ    

 

やっとこの業界(整体)に入るきっかけとなる話になりますが、

それ以前から自分が腰で苦しんでいるので身体的に苦しんでいる人を

何とかしてあげたいと思うようになっていました。

 

色々調べましたが、今から整骨院とか県外の学校に3年通うのは金銭的

にもきついし、そこで目にしたのがカイロプラクティックとか整体でした。

 

カイロプラクティックの学校なら県内にあって1年で卒業だし、

金額も何とか出せると思い入学しました。

 

学校は週3回の午後数時間ですし、遊んでもいる余裕もないので、

友達にどこかアルバイトないか聞いてみました。

 

するとコンビニの夜勤専門なら知り合いが募集してるぞというので、

迷うことなく紹介してもらい学校へ行っている間の1年間働かせて

もらいました。

 

夜勤専門というのが、これまたきつい。

日中はなかなか眠れないし、ノー睡眠で学校へ行く日も多かったです。

夜勤は人間のやることではないと認識しました。

 

交代で夜勤仕事の人は本当に辛いだろうと思います。

 

卒業と同時に、学校の併設する施術院で働かせてもらいながら、

学校の指導講師も任されました。

 

その間にも、自分の理想とする施術のため、もっといろんな知識を

得たくて東京や大阪へ何度も足を運び色んな事を学ばせていただきました。

 

そこで修行させていただき1年が過ぎた頃、家の近くに空いている

土地を見つけました。

 

不思議なことにそれまで目に入らなかった土地が急に眼に入るように

なったのです。

 

これはタイミングだと思いました。

 

 

整体院開業          

 

その土地は親の知り合いの土地で、建物も遠い親戚の建設会社に頼んで、

とんとん拍子に進みました。

 

自分の腰が筋トレで良くなったことで、トレーニングジム併設の整体院を

最初から想定していました。

 

トレーニングマシンを滋賀県や岐阜県まで見学に行ったりと、とにかく

やることがいっぱいでした。

 

オープンの1か月前くらいになると、身体に不調が表れ始めました。

小さな虫刺されが普段ではありえない広範囲に赤くなったり、片目だけ

真っ赤になったり、3日前にはギックリ腰になったり…。

 

これはエネルギーの使い過ぎで心身ともに参っていたのだと思います。

まあそれくらいで済んだのは、日々の筋トレで鍛えていたおかげだと

思いました。

 

なんやかんやで慌ただしい1年が経った時、ついに2003年4月4日に

「トレーニングジム併設 ひらの整体院」がOPENの運びとなりました。

 

おかげ様でオープン初日には16名のクライアント様が施術を受けて

くださいました。

 

順調にクライアント様の笑顔を見ることが出来ていましたが、

これが自分の理想の施術かと思いふけるようになっていきました。

 

当時は何か新しい技術さえあればいい、すぐに改善できるテクニックが

あればいいと信じ、終わりのない技術追及の旅が始まりました。

 

 

ハンドヒーリングとの出会い  

 

元々アニメのドラゴンボールに出てくるデンデというナメック星人の子ども

が、手をかざして死にかけの戦士を復活させるシーンを見てあこがれていた

ので、そのような類の施術法があるのか調べてみました。

 

すると、今野先生の「TE.A.TE 」というハンドヒーリングの本を見つけ

ました。

 

これは自分が求めていたものだと直感し、即購入しました。

感想は「シンプルで面白い、これだ!」と思いました。

 

(後にシンプルがゆえに奥深さを痛感します。)

 

早速ハンドヒーリングの練習に明け暮れ、埼玉のセミナーにも参加させて

いただき直接指導していただきました。

 

その時はビジネスホテルまで予約していただき、とても助かりました。

ありがとうございました。

 

これはいけると思ったのもつかの間、ヒーリングは怪しい、胡散臭いが

漂っていたので、そこを求める人もほぼいないのが現状でした。

 

実家に帰り母親にハンドヒーリングをすると、「宗教に入ったんか!」と

怒鳴られる始末。手かざしの宗教が頭をよぎったのでしょう。

 

そのくらい手を当てる行為が怪しがられていました。

本当の手当てなのに・・・

 

表向きには封印して、施術には分からないように少しずつ取り入れていました。

 

ハンドヒーリング実践研究会

 

 

新たな技術の追求       

 

本質を見失い、技術ばかり求めて月1ペースで東京、大阪、神戸へと足を運び、

帰ってきて練習、練習、練習…。

 

カイロプラクティック、アクティベーター、リンパ整体、運動療法、

キネシオテーピング、礒谷療法、気功、共鳴氣導療法、スポーツマッサージ、

NSCAパーソナルトレーナーなど、忘れましたがまだまだたくさんあります。

 

自分の理想とかけ離れたセミナーも多くありました。

自分の中で段々とマヒしていったのか、学ぶことが目標でなく、

セミナーに行くことが目標になっていました。

 

行けば成長すると勝手に決めつけていました。

 

 

活法整体との出会い      

 

自分が空手をしていたので、武道の整体にも興味がありました。

そこで色々調べていると、活法整体というものがあることを知り、

セミナーがないか調べると、

妙見法活法整体・肘井先生のセミナーがありました。

 

早速参加させていただきましたが、本当に不思議な整体でした。

DVDも購入させていただき、実践していくと、クライアント様の

反応が全然違います。

 

短時間、わずか数秒で驚きの変化が現れました。

これは不思議ということで、口コミも新規のクライアント様も増えました。

 

 

それでも新しい技術を求めて  

 

こうなってくると、もっといい技術があるのではないかと思ってしまい、

セミナーを探しては足を運びました。

しかし、活法整体以降、自分が求める技術とは出会えずにいました。

 

そんな時1通のDMが届きました。

 

 

CW療法との出会い      

 

以前にもDMをいただきましたが、その時はハンドヒーリングに

はまっていたので無視しました。

 

今回2度目のDM

すごく気になり1Dayセミナー大阪に参加させてもらいました。

その時、なんだこれ!の不思議体験をするのです。

まさに、「何だコレ!?ミステリー」でした。

 

主宰の伊東先生に「あなたは沈んでる」と言われ、手に小さいシールを

貼られて歩いてみると、一歩一歩歩くごとに体が軽くなり天に上るような

感じでした。こんなことがあるのか!

 

その後真剣に学びたくて、81クールのセミナーに2回参加させて

いただき、合宿セミナーやワークショップに何度も参加させて

いただきました。

 

その先生は、脳に届いている情報を読むことができ、原因を見つけ出し

自分で出来る調整ポイントも探し出すという療法をしていました。

 

その中で多くのことを学ばせていただくと同時に、いかに自分が

中途半端な生き方をしてきたのか思い知らされました。

本当に自分が情けなくなりました。

 

それでも何とか食らいついていきました。

 

その療法は「BCR療法」と名付けて、当院2大療法の一つになっています。

 

読脳アカデミー CWインターナショナルスクール

 

 

氣になるハンドヒーリング   

 

どうしてもハンドヒーリングが氣になり、以前購入した今野先生の本を

2冊読み返し、ホームページの文面を一言一句漏らさずに読みました。

 

やはり自分がやりたい施術はこれだ!と確信しました。

 

そして、ハンドヒーリング実践会に入会させていただき、ハンドヒーリング

という方法、エネルギー、免疫学、自然治癒力、脊椎動物・哺乳類・ヒト科、

ミトコンドリアをまた一から学ばせていただきました。

 

以前もかなり勉強したつもりですが、多くを忘れていました。

死ぬまで勉強なのですが、年を取るごとに勉強しています。

 

そして、バランス整体とヒーリングで心身を調和させながらエネルギーで

身体の回復を起こす「エネルギー整体療法」が完成しました。

 

これからもっともっと進化していきますが、初心を忘れることなく

ヒーリングを研究・探求していきます。

 

 

・幼少期に観光バスにはねられた記憶

海岸沿いで25歳まで過ごしましたが、保育園児だったころ親戚の

おばさんの家へ遊びに行ったとき、国道の海沿いを歩いていて、

多分国道を急に横切って走ったのだと思います。

 

当時は国道といってもバスがすれ違うのもやっとの幅で、ガードレールもなく

2mくらい下は岩がゴロゴロしていて数メートル先には海がありました。

 

バスに跳ねられ下の岩場に跳ね飛ばされ、跳ねられた記憶はありませんが、

岩場に座っていて上を見上げていた事は覚えています。

そして、薄暗い病院のベッドに寝ていて、すぐそばに

母がいて、しばらくすると父が来たことまで覚えています。

 

多分頭を打たずにうまいこと落ちたのだと思いますが、誰かがうまいこと

包んでくれて岩場においてくれたのでしょう。ありがとうございます。

頭から落ちていたら多分アウトだったと思います。

 

 

・小学校低学年の時の不思議体験

学校から帰り、友達が集まって近くのお寺の敷地内で6時のサイレンが

鳴るまで草野球をするのが恒例でした。

 

ある日のこと、いつものように野球をしてサイレンが鳴り家に帰りましたが、

家の玄関でふと西の少し小高い忠霊碑がある通称エベストというところを

見上げました。

 

子どものころそう呼んでいただけで、本当の名前は分かりません。

 

普段はほとんど見上げることがありませんが、その日に限って見上げました。

 

すると、やや薄暗い中、左側から馬に乗った人が走ってきて馬を止め私を

見下ろしていました。もちろんそんな馬が走るような場所ではありません。

 

手には槍か刀みたいな物をもってこちらを見ています。

 

間なしにもう1頭の馬にまたがった人が現れ、1頭目の向かって右側につけ

同様に私を見ていました。手には盾みたいなものを持っていました。

 

イメージでは中世ヨーロッパの騎士のようだったことを覚えています。

明らかに日本の馬に乗った武士とは違いました。

 

しばらく見ていましたが、家の中から母が「ご飯!」と呼んだので

そのまま家に入りましたが、とても不思議な空間でした。

 

 

・小学生の時の幽体離脱体験

たぶん小学4年生だったと思いますが、母と寝ているときのことです。

部屋の天井辺りから自分の寝ている姿を見ているのです。

 

その時は、自分で自分が寝てると思いました。

一般的に言われている幽体離脱ですね。

 

まあそれだけですが、不思議体験でした。

 

 

 

長文お読みいただきありがとうございました。